要約
現在、日本でも漸く、専門職能人(プロフェッショナル)の知的誠実性と社会的責任のあり方が、あらゆる方面で問われ始めている。 欧米では伝統的に、この種の問題は、主として専門職能人の団体としての専門職能団体(プロフェッション)が責任をもって解決すべき問題と見なされてきた。 例えば、医師会や弁護士会などがその典型例である。このような団体は、自らの成員の質の保証を可能にする制度を設け、あるいは対社会的な約束としての倫理規約などを制定し、成員に倫理的規範の遵守を求めてきた。 日本でもこれに類似した団体や制度が存在するが、その制度を裏付け、支えているプロフェッショナリズムについてはほとんど理解が進んでいない。 専門職能団体はなぜ職種独占(モノポリー)や団体的な自律という特権を享受しているのか、その特権はプロフェッショナル倫理とどう関係しているのか。 そもそもなぜそのような団体が産み出され、必要とされるのか。 といった問題がまったく無視されているように見える。しかし、実際には、現実の専門分化の著しいプロフェッショナル社会を前にして、このような問題を無視しては、専門職能人の知的誠実と対社会的責務の問題を正しく理解することはできないであろう。 そこで、本論考では、専門職能団体の団体としての社会的な責任のあり方を考察する基本作業として、まずエミール・デュルケームの所説とプロフェッショナリズムのアメリカの専門家エリオット・フレイドソンの所説とを具に検討する。 その検討を通して、デュルケームからは、産業革命以降の急激な社会的分業の進展における職能団体の道徳的制度としての役割に関する考えを、また、フレイドソンからは現代社会におけるプロフェッショナリズムの精神と、その精神に基づく専門職能団体の制度的倫理としての役割の重要性に関する考えを、われわれは手に入れることができる。 そしてその上で、両者の所説を参考として、現在と将来の日本における専門職能団体の各プロフェッショナル倫理の支柱としての役割について何がいえるかを述べる。
(Libra vol. 6, pp. 23-59, 2004)